オナ禁、3週間と5日目
オナ禁で明らかに思うこと、
それは、体力がついてきたこと。
実際にはどれほどかわからないけど、
少々汗水たらすような、運動、遠くに自転車でいくようなことも
バテにくい。
ただ、ときどき、じっとしているときには、
なぜか、昔、好きだった女の子のことをふと思い出し、
ムラムラしてしまう。
やっぱり俺は男なんだな、っていうくらい
性欲は強く思えてくる。
ここで、己に負けないこと。
こんなときに、ふとアダルトサイトでも見ようものなら、
もう終わりだろう。
オナ禁ブログも、またイチからリセットとなる。
せっかく培ってきたことも、崩壊することになる。
その時の、やるせなさを考えれば、
自慰行為はできない。
開放は必ず性行為でと決めている。 (その時にどうなるか、
なん連続もいってしまいそうだろう。)
大したことの継続もできない自分でも、
オナ禁をしているというだけで、
自己満足をしている。
周りからみたら、おかしいかもしれない。
でも、自分で自分の決めたことを成し遂げること、
これこそが自信。
自己肯定感を高めている。
どんなことでも、自分で決めたことをすることを守ると、
自信はでるだろう。
たまたま、恥ずかしいような、オナ禁が続いているのだけれども、
自分としては、続いているなら立派そのもの。
もし、あなたが自己嫌悪に陥っているなら、
オナ禁でもやってみたらどうだろう。
人に公表しなくても、自分の中でこっそりとやってみてもいいだろう。
ノートや手帳に達成したことだけを記録するなら、
人にバレることもない。
オナ禁効果なし、なんて声もあるけど、
正直、やってみないとわからない。
人それぞれ、体も心も違うんだから。
オナ禁、自己鍛錬 3週間と3日目
性欲、これは普通だれしもある。
自分の欲をコントロールすること、
実は自身との戦いでもある。
欲に負けて、大事な人生を台無しにしてたまるか、
ということが、根底にある。
だから、実際の性行為でのみ、近い将来に開放しようと決めている。
それまでは、己に勝つ。
最近、まだまだ超サイヤ人の域に達したとは言えないけど、
明らかに何かが違う。
芯、核が定まってきたというか、
何か軸ができつつある。
がしかし、
注意すべきことは、誘惑にさらされる環境にしないことだ。
ネットでついアダルトサイトを開いたり、
雑誌などの女性の写真も極力見ない。
最近、性欲がやばい、って思っていたときに、
一つの解決方法がわかった。
それは、トイレに行くこと。
尿を出すこと。
なぜかわからないが、尿を出せば、
性欲は概ね収まることがわかってきた。
トイレに行く、
これも自己コントロールの一つになることがわかった。
いろんな意見があるけども、
オナ禁は(この言い方はあまり好きではないが、)、
正直人によって効果は違うだろう。
きっと体験は自分で振り返ったときや、
誰かがこの記事を見たときに参考になるのでは、と思って書いている。
ただ言えることは、
今、誘惑にまけて、オナ禁ごときできないとしたら、
自己嫌悪に陥るだろう。
それだけは絶対に避けたい。
自分で自分を信じられなくなるのは、
今後の人生にあ悪影響をもたらすだろう。
しかし、
自分の欲をコントロールし、
成長するなら、
この先の人生は楽しみに思えてならない。
40代からのオナ禁、 3週間目+1日
40代からのオナ禁、 3週間目
目が泳がなくなった。
オナ禁3週間目で気がついたことだ。
キョドってる、というのがなくなったなら、これは大きな進歩だろう。
もし、オナ禁をやぶったら、どれだけ後悔するか、これだけを考えている。
20代や30代の方のオナ禁話はよく聞くけど、
中年は以外に例が少ない。
オナ禁、これは実は自分の欲に勝つ、これだけで、すごく自信になるのは事実だ。
さて、いざ自慰行為なしの生活が続くと、やはりムラムラはよく来る。
3週間経ってみると、
気がついたことはある。
それは、女性と面と向かって話をするときも、
動じなくなった。
ソワソワしたり、目が泳ぐようなことはあったけども、
オナ禁でこれがない。
オナ禁で、モテるようになった、という話も聞くけども、
ようは、「気持ち悪いが徐々に消えていくから」と言えそうだ。
以前は、女性との行為で、自分がイケるかどうか、不安だったけども
今はそれがない。 ちょっとした刺激で、精液はドバっと出てしまうだろう。
セックスはするけども、オナニーはしない、これだけは決めた。
他の仕事の目標や達成は全然だめだったけども、
オナ禁だけは達成して、自信をつける。
自信をつけて、今の人生の困難なことを乗り切っていく。
オナ禁って〜、って他人は思うかもしれないけど、
己の欲に勝つなら、
オナ禁で他のことにエネルギーを注げるようになれば、
それだけでかなり進歩したと思える。
40代からのオナ禁、やったるで。
■
自然の力
都会から引っ越してきて、もう⑤年はたつ。
確かに、最初は田舎暮らしへの漠然としたあこがれからだった。
でも、自然とふれ、野草とふれ、生き物にふれる生活は明らかに自分にとって、価値あることにおもえてきてしまった。
何気ない野草をみる、ふれる、調べてみたら、どうやら食べられるらしいとわかったとき、
摘んでみる。
そのとき、野草の命を奪ったことに気がつく。
殺してしまった、と。
でも、ハコベやふきのとう、ピレンチェなどを食べたとき、
何ともいえない深い味わいを感じた、。
これは、スーパーなどで見かける、有機野菜などとは大きくことなった、
一言で言えば、「生きている
自然の力
都会から引っ越してきて、もう⑤年はたつ。
確かに、最初は田舎暮らしへの漠然としたあこがれからだった。
でも、自然とふれ、野草とふれ、生き物にふれる生活は明らかに自分にとって、価値あることにおもえてきてしまった。
何気ない野草をみる、ふれる、調べてみたら、どうやら食べられるらしいとわかったとき、
摘んでみる。
そのとき、野草の命を奪ったことに気がつく。
殺してしまった、と。
でも、ハコベやふきのとう、ピレンチェなどを食べたとき、
何ともいえない深い味わいを感じた、。
これは、スーパーなどで見かける、有機野菜などとは大きくことなった、
一言で言えば、「生きている」感を感じさせてくれるものだった。
この生きている感が、食事をはじめ、生活でかけてしまっている。
パワー、うちからくる力のようなものが。
ここでは、野草を食べる、生き物を愛する、自然派が好きな、一人の都会からの移住者の思うことを書く。
効率だけじゃ、むなしくなることに気がついた。
こんな世界もあるんだ、
こういうこと感じるんだ、
何か元気がでてきた、
と感じてもらえたらヨイと思う。